タイ戦跡と自然・歴史をめぐる旅 2014年1月8日〜14日
タイ戦跡と自然・歴史をめぐる旅 2014年1月8日〜14日
歴史の事実と向き合う責任
2014年1月、旅システム25周年記念特別企画「タイ戦跡と自然・歴史をめぐる旅」。
現地タイでの5日間の行動日程のうち、2日間が「泰緬(タイメン)鉄道」関連の
戦跡の見学だったことが決め手となり、迷わず参加を申し込みました。
「泰緬鉄道」は、アジア太平洋戦争中に日本軍がタイ(泰国)とビルマ(緬甸)を
結ぶために建設した軍事鉄道です。英領ビルマの占領を継続し、
連合軍による中国国民党・蒋介石への援助ルートを断つために、
ビルマへの陸上補給路確保を目的に1942年7月に着工。日本軍は、
イギリス、オランダ、オーストラリアなどの連合軍捕虜6万人と、
マレー半島やビルマなどから徴発した20万人を超える
アジア人労務者(ロームシャ)を鉄道敷設に動員し、15カ月間の突貫工事のすえ、
1943年10月に全長415kmの鉄道を開通させました。
1日当たり890mという驚異的スピードです。
特に工期の短縮命令が出された1943年2月以降(「スピードゥ」時代)の作業時間は、
1日最長16〜18時間に達したといいます。重労働、飢餓、疫病、日本軍による虐待で、
1万3000人近くの捕虜、8万人を超える「ロームシャ」が犠牲となりました。
「枕木1本に労務者1人の命が失われた」と言われる、まさに「死の鉄道」です。
この工事に関わった日本軍兵士のなかには、戦後、捕虜虐待を理由に
BC級戦犯として処刑された者もいました。
現在、この「泰緬鉄道」の一部、バンコク郊外のトンブリーからナムトックまでの
210kmはタイ国鉄ナムトック線として利用され、沿線一帯は
クウェー川鉄橋(戦場にかける橋)があるカンチャンブリを中心に
すっかり観光化されています(映画「戦場にかける橋」のモデルは、
クウェー川鉄橋ではなくビルマ国境付近のソンクライ橋だそうです)。
今回の「泰緬鉄道」の戦跡めぐりも、そのカンチャナブリが拠点でした。
1日目は、「クウェー川鉄橋」を徒歩で往復した後、1944年に日本軍が建立した慰霊碑
、鉄道建設に関わった国(日・英・米・豪・泰・蘭)の英語の頭文字をとって名付けられた
「JEATH戦争博物館」、6982人が眠る「連合軍共同墓地」とそれに隣接する
「泰緬鉄道博物館」を見学。
2日目は、カンチャナブリからナムトックまで旧「泰緬鉄道」に乗ってビルマ国境方面に移動。
その後、鉄道建設の最大の難所跡に豪政府が建てた博物館
「ヘルファイヤ・パス(地獄の業火峠)メモリアル」、岩壁にへばりつくように
続く長さ300mの「タム・クラセー桟道橋(旧称アルヒル桟道橋)」などを訪れ、
「泰緬鉄道」の難工事の現場を体感しました。
2日間の見学を通して考えたことは、歴史の現場を訪れ、自分の目で見ること、
事実を正確に知ること、体感することの大切さです。
「JEATH戦争博物館」などの展示で目の当たりにした連合軍捕虜の重労働や
収容所生活の実態は、映画「戦場にかける橋」で描かれた世界とは
全く異なる衝撃的なものでした。
まさに骨と皮、痩せ細った体に褌だけを身に着けた連合軍捕虜の写真に息をのみました。
また、連合軍捕虜以上に多数が鉄道敷設に従事した「ロームシャ」については、
動員数や犠牲者数を含めて正確な実態が把握されていないことに慄然としました。
今回見学したどの博物館でも「ロームシャ」に関する展示は極端に少ない状況でした。
連合軍捕虜の死亡率20%に対して、「ロームシャ」の死亡率は40%にのぼるといわれています。
連合軍捕虜の死者は工事現場沿いに埋葬され、日本の敗戦直後に、
連合軍によって全ての遺体がタイ・ビルマ3か所の共同墓地に移されたのに対して、
「ロームシャ」の死者は手厚く葬られることもなく、生存者についても帰国できずに
戦後もそのまま現地にとどまり生活を続けた者も少なくないといいます。
戦後の日本が、アジア太平洋戦争での加害行為を直視してこなかったこと、
戦後責任を果たしきっていないことを改めて思い知らされました。
今回の旅を通じて、永瀬隆さん(1918〜2011年)のことを知りました。
陸軍憲兵隊の通訳として「泰緬鉄道」に関わり、終戦直後には
連合軍の捕虜墓地捜索隊にも同行した人物です。
戦後は、135回にわたりタイを訪問し、元捕虜、元アジア人労務者との対面を重ねながら、
贖罪と和解の人生を歩みました。
1986年には、カンチャナブリに「クワイ河平和寺院」を建立し、
タイの若者に奨学金を給付する「クワイ河平和基金」の創設も果たしました。
その事績を顕彰するために、「JEATH戦争博物館」には永瀬さんの銅像が建てられています。
永瀬さんは、戦争中の「泰緬鉄道」をめぐる自己の体験と正面から向き合い、
戦後半世紀近く贖罪、和解、交流の旅を続けたのです。
永瀬さんの真摯な生き様に触れ、私自身も一社会科教師として、
これからも歴史の現場に足を運び、事実を深く学び伝えるとりくみを重ねていかなければと、
今、決意を新たにしています。
「タイ戦跡と自然・歴史をめぐる旅」は、アジア太平洋戦争中の加害の歴史と向き合う責任を
改めて見つめ直す機会を与えてくれました。
今回の貴重な体験を、平和憲法の理念を守り生かすための運動と
教育実践につなげていきたいと考えています。
江別高校定時制(道高教組) 飯塚正樹さん