平和と教育を考えるツアー連絡会  
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平和の旅レポート
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東欧平和の旅2017年に参加して  2017年6月28日(水)〜7月6日(木)

 

 6月28日から7月6日まで、「アウシュビッツを見る」という、私の人生の宿題にとりくむ旅をしました。そこで何が起こっていたのか、行って見て確かめなければと思っていました。
 旅は9日間、プラハ空港の大きく真っ赤な夕日から始まりました。夜9時半、太陽は地平線をたどりながらなかなか沈みません。やがて空を燃えるような赤に染めて、ゆっくりと落ちて行くときの美しさに心を奪われました。
翌日はワルシャワの爽やかな空気を吸いながらワジェンキ公園を散策しました。かわいいリスたちが私たちを歓迎してくれました。手の平にのせたくるみを、小さな両手でかかえて受け取ってくれた、その感触がまだ残っています。動物好きの私には、思いがけない旅の癒やしになりました。
 旅で強く心を打たれたのは、コルチャックの像、強制収容所跡、リディツエ村跡でした。
ゲットー跡のコルチャックの像は、子どもたちとともに強制収容所へ向かう一歩に苦悩を背負いつつ強い愛を貫いた意志を伝えていました。信じてついて行くよりしかたなかった子どもたちと行かねばならなかったコルチャックの心情を思い、苦しくなりました。  オシフィエンチム市のアウシュビッツ第1強制収容所では人々が過酷な労働や処刑で命を奪われ、ビルケナウ(第2強制収容所)ではユダヤ人の大量虐殺があったのです。ビルケナウの引き込み線で収容所に入った人々は選別され、ナチ親衛隊が親指を右に指すとアウシュビッツで強制労働、左に指すとビルケナウでガス室送りとなったそうです。人が人を徹底的に、命を落とすまで搾取し、人の髪の毛1本までも奪い尽くしたのです。ガラスの向こうに積み上げられた4トンもの髪の毛、眼鏡の山、靴の山・・・。私の孫の靴と同じくらいの小さな靴・・・。この靴を履いていた子はどんな顔をしていたのでしょう、どんな声で笑ったのでしょう・・・。どんなに怯えて、どんなに苦しんで命を奪われたのでしょう・・・。人の皮膚で作った敷物、タバコケース・・・。これは事実・・・実際に行われてしまったことなのです。人間は人間に対してこんなに残虐なことができるものなのでしょうか・・・。
 チェコのリディツエ村では1942年6月に339人(子ども83人を含む)がゲシュタポとドイツ兵により銃殺、拷問などで虐殺され、建物は引き倒され、村は消えたそうです。ドイツ国家保安本部警察長官ハイドリッヒ暗殺犯をかくまったという疑いをかけられたための惨事でありましたが、暗殺犯はリディツエには隠れていませんでした。ナチ親衛隊に連行される子どもたちを模した立像は、恐れ、怒り、悲しみをたたえていました。抱きしめたい・・・このように命を奪われていった子どもたちがどれだけいたのでしょうか。1955年に世界中から送られたバラは「友情と平和の園」としてバラ園になっています。2017年7月3日、リディツエのバラは青く抜けるようなチェコの空に映えていました。
 過去と向き合い、謝罪し、過ちを繰り返さない決意を内外に示すことで、その国の未来は開けるはずです。我が国のありようが残念です、恥知らずです。
 アウシュビッツで会った、ガイドをしている80歳の女性は「ドイツの人に説明するのは難しい。」とおっしゃいました。しかし、事実を伝えるしかないのではないでしょうか。彼女に「ポーランドもドイツも日本も、世界中の国は友だちです。」と言った時、彼女は笑顔になり「ピースピース」と答えてくれました。本当に世界から紛争がなくなり、ピースな時代が1日も早く来るように願わずにはいられません。
 旅は、楽しみもたくさんありました。ポーランドでは世界遺産のヴィエリチカ岩塩採掘場の壮大さに驚き、鉱夫が掘った「最後の晩餐」などの岩塩のレリーフに魅了されました。チェコでは、プラハの街の美しさに圧倒されました。旧市街では様々な建築様式の歴史的建造物が多く残っており、青い空を指してそびえる尖塔を見ていると、まるで中世の世界にいるような気がしました。プラハの街全体が博物館のようでした。ヴァルタバ(モルダウ)川に架かるカレル橋は、1357年から60年かけて建設されたもので、欄干に30体の歴史的人物の彫像が並び、歩いていると時間をわすれてしまう不思議な感覚になりました。スメタナホールでは楽しいコンサート、体全体が楽器かと思われるほど素晴らしい発声のオペラ、可愛らしいジュニアのバレエを鑑賞し、贅沢なひとときを過ごしました。
 しっかり学び、たっぷり楽しんだ9日間の旅でした。チェコの美味しい黒ビールが忘れられません。


  

伊槻 久美子