頭と口と手の三つが活躍の日帰り研修旅行(2023年7月2日)
7月2日、北海道視覚障害者9条の会は、旅システムさんの協力・共同の元、3年ぶりに日帰り研修旅行を実施した。
「先史時代と近現代の歴史を学ぶ旅…1日で時代を1万年以上さかのぼります。」(旅システムHPより)とは、果たしてどんな壮大な日帰り研修になったのか?
9条の会からは25名、総勢30名の参加者を載せたバスは、まず白石区にある北海道ノーモア・ヒバクシャ会館へ。
初めに、短い動画で被爆の瞬間の説明や惨状が映し出された。それから、宮本さんという方から、被爆体験のお話をうかがった。小学校2年生だった宮本さんは、爆心地から6キロほど離れたところで被爆。ものすごい物音で防空壕に逃げ込み、長い時間そこでとどまったという。何の情報もない中、しばらくの時を経て外に出てみると、辺りはいつになく静かだった。それから、実際何が起きたかを一つ一つ知らされていったという。今年は慰霊の行事に参加されるため、久しぶりに長崎に帰京されるとのことであった。
宮本さんのお話しは、1944年、原爆投下の前年、それまで住んでおられた名古屋で父上を空襲で失い、その後ご両親の郷里に近い長崎に転居されたというところから始まった。被爆体験というと、その瞬間と、言語に絶するような被害のことが語られることが少なくない。もちろん、私たちはそのことから心をそらしてはならない。しかし、およそ1年前から回想される語りは、むしろ宮本さんという個人の生活を浮き彫りにし、戦争への憎しみと平和への願いが私には強く響いた。ほんとは誰も語りたくないであろうこと、しかしますます語らざるを得ない昨今の状況を、察するとき、私たちにはいったい何ができるのか。
その後、被ばく者協会の河野さんより、この被爆者会館設立の経緯を拝聴した。北海道になぜ被爆者会館なのか。という、多くの人が疑問に感じるであろうことを答えてくださるものだった。特に北海道と広島との関係は戦争中から深く、さらに戦後土地を失った広島の人たちが、北海道の開拓に送り出されたという話もうかがった。知らなかった、知らされてこなかったことを学ぶ時間だった。河野さんのお話は熱を帯び、現在の核兵器禁止条約に対する日本の態度や、核抑止力という発想から抜け出せない世界情勢の問題についても言及した。また、この施設の存続が大変であるというお話も伺った。
目で見て感じることが難しい私たちにとって、資料室見学で最も印象に残ったのが被爆で変形したラムネの瓶に触れたことだ。それは、何の説明もなければツルツルかつゴツゴツとした岩のようだった。慎重に触っていくと、突然確かに、瓶の口の丸く空いたところが残っていたりする。夏の朝、何本ものラムネが水で冷やしてあったのだろうか、それが一瞬にして…!その変形のすさまじさをあらためて感じた。
アサヒビール園での昼食時。盛りだくさんの料理を食べながら、一人ひとり声を出して自己紹介や近況報告。厳しい時間制限の中、皆さんの協力に感謝。その後、各テーブルでの交流は、やはり直接会って話すことの良さを皆感じさせられるものとなった。
午後からは北海道埋蔵文化財センター見学。なかなか入れる機会のないバックヤードは、厳重に管理された大量の出土品の間を細い通路が延々と続いていた。時には出土品のピースとピースを合わせながらの研究がなされているとのことである。
最後に、手を使っての勾玉作り体験は、学芸員の方の指導の下、角ばった石を紙やすりで磨き、丸みを帯びた勾玉の形ににしていく。視力を使わず、指先で確認しながら、世界で一つだけの形のまが玉を各自完成させ、首にかけた。
重たい課題を含む学びと、久々の交流と、楽しい手作業。現代の私たちは…。勾玉の形は9条の9に見えるともいう。誰の勾玉が一番9に近かったのか?皆、自分のだと信じて、これからも活動して行こう!
北海道視覚障害者9条の会幹事長 吉田重子