台湾歴史と文化の旅 そのA
台湾歴史と文化の旅 その2(2012年7月26日〜30日)
旅の前にいつもしなければと思う事があります。若い頃に読んだ旅の本に書かれていた、「楽しい旅をするための秘訣は、訪問先国の政治、経済、社会、文化そして習慣、旅行事情にいたるまで詳しく知っておくことである」せめてその一部でもと思うのです。
とはいえ「いよいよ」になるまで取り組むことのできない性格が災いして、いつも不十分なまま出国することが続いていました。その中でも今回は全く事前学習なしでしたが、幸いにも四月に「旅システム」さんの「沖縄平和を考えるツァー」に参加していたので、その経験から「百聞は一見にしかず」と不勉強の言い訳をして出発しました。しかし旅の結果は、予想以上に歴史や文化を学ぶことができ有意義なものでした。
その大きな理由は、健康度バツグンな現地ガイドの朱清義さん(80才男性)の、波瀾万丈な人生とポジティブな生き方に触れることができたことでした。こんなお年寄り(失礼!!) が日本語ガイドをしている台湾という国は、いったいどんな国なんだろうと興味深々になり、詳しく学びたくなったのです。
二日目以降の朱さんのお話は、台湾国民の苦難の歴史と、でもその中でたくましく生き抜いてきた力強さ、そして南国人らしい明るさを感じさせるものでした。また朱さんの案内で特に印象深かったところは、二日目の「九?」、三日目の「原住民博物館」と「二・二八 和平記念館」、そして四日目の「故宮博物院」でした。
九?は1830年の金鉱の発見でゴールドラッシュに沸いた街ですが、石段や石畳の小道が続き、情緒豊かでノスタルジックな雰囲気があふれていました。
また九?はベネチア映画祭でグランプリに輝いた、名作映画「非情城市」の舞台になったところでもありました。その映画により「二・二八白色テロ」が国際的に知られるようになったことを学びました。
翌日の「原住民博物館」については、旅程表を見た時から興味を持っていました。それは高校生の時、「郷土研究部」という地味なクラブで遺跡発掘をする等、歴史や文化を学ぶことが好きだったためです。そこでは若い女性の学芸員さんが上手な日本語で、先住民とその文化・風習について丁寧に説明して下さいました。
特に関心を持ったのは、東海岸の阿美族は母系相続の民族であること、また東南海上にある島の雅美族には、一妻多夫の制度があったことでした。また帰国後知ったことですが、この島には低レベル核廃棄物貯蔵施設があり、雅美族には補償金が支払われていますが、施設への反対運動は根強いそうです。福島原発事故を考えると、やはり地球的な規模で「核兵器廃絶」・「原発ゼロ」の運動が必要だと痛感しました。
その次の「二・二八 和平記念館」で日本統治時代を知るお年寄りのお話を聞いた時、台湾の歴史の検証はまだ緒についたばかりで、今後の世代に委ねられていることを感じました。それにしても今日に至ってなお、先の戦争を反省することのできない日本政府のありように、怒りを覚えました。同時に私も学ばなければとの思いを強くし、来年の韓国平和ツァーで学習したいと考えました。
そして四日目の「故宮博物院」は圧巻でした。展示されている宝物の素晴しさは想像以上でした。また朱さんの説明から、宝物を作らせた支配者の強大な権力や、作者のことにも思いをめぐらせることができました。しかしまあよくぞ60万点も大陸から持ち出したものだと、どれ程の犠牲を払ったものかと想像しタメ息が出ました。
最後に白状しますが、私はとても食いしん坊です。でも今回は旅システムの青木さんのこだわりのおかげで、台湾の食を満喫できました。特に小籠包とマンゴー、ライチの美味しさは忘れられません。今も思い出す度に、別な意味で再度行きたいと思うのです。
お世話下さった旅システムの青木さんに感謝しています。良い旅でした。