キューバ視察9日間の旅 2015年11月16日(月)〜24日(火)
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今回で3度目のキューバです。はじめての訪問は1987年8月、サンデイニスタ戦線の勝利で新しい国づくりを始めたニカラグア訪問とあわせてキューバを訪問しました。
けっして豊かではないけれど陽気な国づくりをはじめて知りました。この国をもっと理解したい、できれば住んでみたいと思いました。そんな夢をみながら再訪できたのは2013年10月旅システムのツアーでした。夫と娘と参加しました。医療、教育、福祉について学び実際に学校、診療所などを訪れキューバの国づくりの真髄にふれたような気がしました。そして2015年11月同じコースでツアーが企画され道AALAも共催と聞いては参加しかないと決めました。今回は私ひとりで参加です。
2014年12月オバマ米政権がキューバへの政策のあやまりを認め国交正常化交渉をはじめてから大使館の再開等の協議がすすんでいます。
キューバはアメリカに対して・経済封鎖の解除 ・その被害の補償 ・グアンタナモ米軍基地の返還を求めているとのこと、大賛成です。
キューバ滞在7日間のなかで前半は医療、教育、福祉などキューバの根幹にふれる研修をしました。どんなちいさな農村にもあるファミリードクター。キューバの憲法50条には「健康は人間の権利」と明記されているそうです。日本の憲法25条の生存権と似ているがそれを本当に実践しているかどうかと思うと残念な気持ちになりました。
たくさんのことを見て聞いて感じたキューバでしたが研修については前号の伊藤理事長の報告がありますので、私はびっくりしたこと、感心したことなどを報告します。
ハバナのホテルは28年前と同じ
ハバナ空港からホテルに到着して「あれー?どっかで見たことある」と思い朝になってやっぱりそうでした。28年前と同じホテルでした。メンテナンスしてるからかもしれませんが館内や部屋はきれいでした。キューバのきびしい経済状況でよくこれまで維持できるのはエライ!!と思います。フロントにいるホテルマン、レデイーはニコリともせずに応対してくれましたが、まあそんなものでしょう。過剰な愛想よさは必要ないです。
ガイドのスサーナさん
空港で出迎えてくれたのはスサーナさんという大柄な女性、お孫さんもいるとのことですが50代後半の方でこのツアーが充実したのはこのガイドさんのおかげだと思います。ハバナ大学でロシア語の教師でしたが、ソ連崩壊後日本語を勉強しその教師となり教え子の多くはいま日本語のガイドとして活躍しています。彼女はキューバの歴史と現在をよく把握し、わかりやすく説明してくれました。ツアーの成功の要はガイドなんだと実感しました。
税金払ってない?
国有企業に働く労働者つまり国家公務員は税金を払っていない、とガイドのスサーナさんからきいてびっくり。レストラン、タクシー、おみやげ店、農業などの個人経営が増えていますがその経営から生まれる利益の何割かは税金として徴収されます。でも国有企業の労働者は働いて利益を生み出しそれは国の収入なので賃金から所得税などを控除することはないということのようです。日本では所得税、健康保険料、年金と払うものはいっぱい。自己負担が基本の日本の制度からみると医療、教育、福祉を保障するのに予算はあるの?とつい思ってしまいますが、国民が生み出した収益を何に使うのかという国の姿勢ではないでしょうか。
軍隊は独立採算制?
キューバには徴兵制があり17歳以上の青年は2年間の兵役義務があります。兵役を終えて大学や専門学校などに入学する青年もいます。ツアー一同が診療所訪問のとき玄関前に十数人の青年兵士が集まっていました。彼らはこれから各家庭に衛生のための援助(消毒などの手伝いでしょうか)に出かけるとのこと。これも軍隊の仕事だそうです。
キューバの軍事費はどうなっているのかとネットでみると2014年で対GDP比
3.5%。けっして少なくはありませんが旅システムの内山博さんは「軍隊は独立採算制で運営している」と教えてくれました。兵士の食料は自給自足、ホテル等の観光業などの経営もおこない収益をあげて兵士の生活をささえているとか、信じがたいことだが本当のようです。
キューバのことを知れば知るほど日本の国のありかた、自分たちはどうすべきかと考えます。世界と連帯することは自国の平和と民主主義をまもることにつながると思います。今回のツアーがあらためてその意義を確認させてくれました。
宿泊したハバナの海岸近くのホテル |
病院の前にいた青年の軍人 |
平岡 恵子 さん
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『私のキューバ紀行』
昨年末米国とキューバが五十年ぶりに国交回復をするとこになったと聞いた。キューバに特に関心を寄せていた訳ではなかったが、長期間の米国の経済封鎖とソ連崩壊のあおりでキューバは経済的低迷が続いていると聞いていた。それが国交回復により急激にアメリカ化が進み、今ある姿を見られるのはこの機会をおいてないと聞き、友人の誘いもあり、思い切ってツアーに参加した。
トロント経由でハバナまで約二十時間やっとキューバに近づいたと思われる頃下界の光が見えてきた。「あれはきっとハバナの灯よ!!結構大きいし明るいじゃない?」ところがそれはフロリダの灯だったらしい。いよいよ着陸時、ハバナの灯は情けない程暗かった。到着ロビーもこれが国際線かと思う程暗い照明、、、、。長時間かかってトランクを受け取り、深夜、ホテルに到着。ここのロビーも暗かった。しかし、ホテルは海岸沿いのりっばな建物、部屋は広々、クーラーも効いている。これはまだ米国がキューバを支配していた時代のものなのかしら?それともソ連の援助?
★医療・教育
二日目以降この旅らしくキューバの医療・教育システムについてのレクチャーが朝から始まる。日本と比べて、非常に感心したのは、困難な状況の中においても教育と医療の無償化は国民が安心して暮らす為に絶対に無くしてはいけないとして維持し続けてきたこと!!特に医療分野では国の隅々まで『ファミリードクター制度』があり、日常的に医療スタッフが各家庭を訪問し病気の予防指導は勿論心のケアーまで丁寧にしているということ、、、、また教育の無償化により文盲はほとんど無くなった。キューバをはじめとするカリブ海諸国の歴史を紐解けば、ヨーロッパの侵略による原住民の虐殺、アフリカから大量の奴隷投入によるサトウキビ生産。長く続いた独裁政権の中で教育を受けられない人々が大部分を占めていた、カストロ等による革命政権の目標は子供こそは国の宝、教育の機会均等こそは中心命題だったのだ。困難な状況に負けず、独裁時代の軍隊の兵舎を学校に変えて教育に力を注いできた。ガイドのスサーナさんもこの兵舎の学校を卒業したとのこと。
★都市近郊型小規模農園
土地は国有。しかしながらソ連崩壊以降、食糧危機が長く続いた為、小規模な土地の私有が認められ、そこで出来た農作物を三キロ以内で売りさばき利益を得ることまでは許可された。今まで全てをソ連に頼り、化学肥料・農薬を大量に使う農業をしていたが、それがソ連崩壊によりストップした為、編み出した方法が自然農法だ。ミミズを飼い土作りし、虫はハーブなど植物によって農作物に近づかせない。出来た野菜は完全無農薬。安心して食べられる野菜は近隣の人々が喜んで農園に買いに来るという。農園には牛、馬・羊。鳥、犬、猫が自由に歩き回り、人々がゆったりと働いている。
★老人福祉
カトリックが根付くこの国には国営の他、修道院などが経営する老人ホームがある。
その一つに見学に行った。そこは昔のスペイン風の古い館、しかしながら中には広い農園、庭園、病院、図書館。礼拝堂。夫婦で住めるお部屋など、清潔で隅々まで心が籠った優しい施設だった。驚いたことにここを案内して下さったのは入所していらっしゃる八十近くのお婆さん。如何にここが住みやすいか、実感の籠った説明をして下さり、ご夫婦の居室まで私たちを案内して下さった。広くはないが自分達の愛用の家具を持ち込み、ベランダからすぐ庭にでるとそこにはたわわにバナナが実り、犬猫が徘徊している。自由だ。
★ラテンアメリカ気質
街角には音楽が溢れている。ちょっとしたレストラン、博物館などに賑やかで陽気なリズムと歌声が、、、、。ガイドさんはハバナ大学で日本語を教えてきたインテリ。その方も音楽が聞こえるとすぐに街角でもどこでも踊りだすのだ。自然に体が動くという。
トロピカーナショウは凄かった。光り輝く褐色の肉体を惜しみなく露出させ、体中で生きる喜びをこれでもかとリズムに合わせ発散させるのだ。最後には日本人の我々も舞台に誘われ踊りの輪に入っていた。
★インフラ・サービス
暑いし、湿気も多い気候だ。我々が泊まったホテルは最高級だったに違いない。しかし、施設は相当に老朽化している。シャワーが霧程度にしか出ないとか、トイレの水の出が悪いなどのトラブルが結構ある。又、例えばアイロンを借りたいと言うと「わかった・わかった。すぐ持っていく」と言いつつ持ってこない。また、二人部屋なのにタオルが一枚しかないのでそれを言うと「部屋に一枚だ」と言う。二人居るのだから二枚必要だ、今すぐくれと言っても貰えるまで三〇分はかかった。
また街中のトイレはチップを払わねば入れない。しかし、ほぼどこでも水は流れないし、汚い。時々バケツで水を流してくれる程度なのだ。日本のインフラやサービスに慣れ切っている私たちには辛かった。キューバはこれからも観光で栄えて行ってほしい。だからこそさらに居心地の良いサービスが提供出来るように頑張ってほしいと思った。
★アメリカとの国交回復後
キューバは色々な外圧に屈せず独自の社会主義の道を歩んできた。経済封鎖が解かれ米国との自由な貿易が国にもたらす恩恵は計り知れないものがあるのだろう。しかし懸念するのは絶対にこの貧しくも平和だった島国が資本の大量流入により貧富の格差を生み、人々の心まで荒廃させることが無いよう、何時までもカリブ海に浮かぶ独自な社会主義の良い面を維持しつつ発展していってほしいと願う。あの陽気な笑顔を思い出しつつ、、、、、。
都市型有機農場の見学 |
老人福祉施設での集合写真 |
大北 直子 さん
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キューバを愛する人々
今回の旅のきっかけは、旅システムの刊行物に載ったK・Tさんの「豊かさとは何かを考えさせられた云々」のキューバ体験記の文章だった。キューバに行けば、Kさんが感じた「豊かさ」を自分も実感できるかもしれないと思った。そして、旅の参考にしようと読んだ堀田善衛「キューバ紀行」の内容が、現在どうなっているのかにも旅の期待が膨らんだ。
丸一日近くかけてハバナ空港に着いたのは、夜の10時。手荷物の受け取りに待つこと小一時間、待ちわびる我々に全く関知するふうもなく、空港職員同士行き交いがてらに、男同士ならハイタッチ、異性ならハグして頬キッスしあっている。極めつけは、若い女性職員同士頬キッス交わした後、お手手つないで我々の前を通り過ぎていった。これは、後に旅先でよく眼にする光景だった。人種間の隔たりのないキューバ人のよき習慣のようだ。ホテルに向かう途中の風景は、真夜中ということもあったが、車窓にはかすかな光量の街灯が点々とつづき、人通りまばらな北海道の田舎町を思わせた。そして走行中のバスの中も暗い。確かに薄暗いハバナの街並に、車内灯を煌々と点けて走るバスは不似合いに思えた。ホテルに着いたのは12時近く。風呂に入ろうとすると、手ぬぐいタオル、歯ブラシがない。古手ぬぐいと旅行用歯ブラシセットを用意して来たかいがあった。トイレも排水ボタンを押しても水が流れない。水槽上蓋をはずし、直接操作で水を流すようにする。さて、明日からどんな「豊かさ」は実感できるかと思いながら床についた。
翌日からの三日間、キューバの医療制度、教育制度、経済封鎖が抱える問題点について、しかるべき地位の人にそれぞれ懇切なレクチャーをうけた。その後、ハバナ市内の有機農場や老人施設、医療制度の現場を見学、そして市内の有名レストランでの昼食・夕食とあわただしい日程をこなした。四日目には、時間を掛けてカリブ海の港町シエンフェゴスへ。そこのレストランの屋上からは遠方に原発が小さく見えた。チェルノブイリ事故が起きたとき、カストロ政権は、それと同型のこの国の原発の廃炉を即断したという。さすが、国民本位の国キューバ! さらに16世紀初めに作られた町・トリニーダ市街を見学し、外国客で賑わう宿泊先のリゾートホテルへ。そこで二泊し、カリブ海の海水浴も体験した。ハバナ市内に戻り二泊して旅を終えた。各都市や都市間移動のバスから見る車窓の景色は、ガイドのスサーナ女史が率直に話してくれた「キューバは貧しい国です」「キューバには3つの課題があります。それは、ゴミ・住宅・交通手段」を実感させられるものであり、一見すると1960年代とさほど変わってないようにも思えた。帰国前日のホテルのロビーでは、大量の雨漏りも発生。こうした経済封鎖という戦時経済状況が続く中で、今も人材の国外流出は続いているという。そうした中でも、教育制度の充実と発展、網の目の予防医療制度の構築など国民こそが国の宝と考え政治に力を注いできたキューバは、国民の政治への信頼と温暖な気候とが相まって、ゆっくりと時間が流れているように感じた。このゆっくり・ゆったり感こそが日本では経験できない「豊かさ」なのかもしれない。
帰国前日、一週間つききりで旅のサポートをしてくれたスサーナ女史とのお別れ会で、旅行団を代表して謝辞を述べたNさんの言葉が胸にしみた。「スサーナさんがとてもこの国を愛していることが言葉の端々から感じました」。スサーナさんだけではない、この国の人々は、誰もがこの国を愛しているのだと、実感することができた旅だった。
旅の最初、空港の西滑走路(?)そばを通った際の説明、「ここにはアメリカからの直行便が日に9便到着します。乗っているのは殆どキューバ人です」。国を出てもキューバ人は、キューバを愛しているのだ。
医療・教育・経済封鎖についてのレクチャーをうけています。 |
世界遺産トリニダの風景 |
森田 さん