長野平和・文化の旅 2012年9月8日〜10日
この旅は、十数年来の夢だった「安曇野ちひろ美術館」、そして「無言館」「らいてう」の家を訪ねる私の要求にぴったりの旅程で、一生の思い出となりました。
残暑きびしくも、天候に恵まれ、信州・長野の自然に癒され、すばらしい絵画・音楽にどっぷりと浸り、身も心も興奮し充実、大満足の3日間でした。
安曇野ちひろ美術館は、新婦人しんぶんに掲載されたのがきっかけで、新婦人エーデルワイス班で「ちひろ会」というサークルを作り、毎月積み立てをして準備をしていましたが、交通が不便で旅行代金も高くなるとの理由で、安曇野ではなく東京の「ちひろ美術館」に変更したことがありました。
「無言館」は映画「無言館」を観て、そして実際に窪島館主のお話を聞いてからは、何としても自分の目で絵画を見てみたい、あの庭にいってみたいと思うようになりました。
「らいてう」の家は、昨年平和婦人会が主催した映画「平塚らいてう」の生涯をきっかけに、夢が膨らんでいきました。
「長野平和の旅」は、3年前に平和婦人会50周年記念事業として実施し、今回は、その3年前のルートを参考に、映画「無言館」上映会をともにとりくんだ「札幌窪島会」の協力を得て、「天満敦子in無言館コンサート」の日程に合わせて「長野平和・文化の旅」を計画しました。
1日目の「安曇野ちひろ美術館」は、まず、その広大な敷地に驚き、どこに美術館があるのだろうと思うほどでした。建物に入ると、吹き抜けになっていて、ガラス張りの向こうには広い庭・山並みが見えます。自然の光がやさしく、ゆったりとした空気が満ちあふれていました。
学芸員のお話も聞けました。ちひろの原点は平和、そして子どもを愛する心でした。どの絵をみても可愛らしく、自分の子ども・孫を見ているようでした。でも、可愛い中に意思の強さを示すキリッとした目が印象的です。
ちひろは、著作権が確立していなかった時代に原画の返還、作家の権利を訴えて童画界の著作権確立に貢献しました。だから、後世に原画として残せるのです。いつまでも、その空間に居たい、もっとゆっくりじっくりと一日かけて見たかったです。
2日目は、午前中は松代大本営像山地下壕の見学です。ガイドさんの案内で壕の中に入り、説明を受けました。太平洋戦争の末期に軍の中枢を秘密裏に移すというもので、朝鮮人が一日三交代で9ヶ月かけて作りあげたものです。無駄な巨費をかけ使う事もせず、全く無駄な事をしたものです。
「無言館」では、ひとつひとつの絵がもっと絵を描きたかったという画学生の叫び・声が聞こえてきそうでした。絵についての説明や画学生の遺品が展示されています。それを読むと胸が熱くなりました。どんな思いで戦争に行ったのか、戦争がなければ、家族と恋人と幸せに暮らしたであろうと思うと、本当に切なく、戦争は二度と起こしてはならないと強く感じました。
窪島誠一郎館主の話で一番心に残っているのは、東日本大震災で被災した石巻市に「戦争で亡くなった画学生たちの絵を持って行って何のたしになるのか」と自問していたときに、家や職場まで失った方が、画学生の絵の前に長い間たたずみ、帰り際に「不思議ですね。はげまされました。生きていこうと思います」とおっしゃったこと。自分の意志とは無関係に戦争にかり出された画学生と、不条理に津波に襲われた人との心がどこかで一致したのですね。
天満敦子さんのコンサートは、G線上のアリアや赤とんぼなど耳なれた曲で、戦没画学生に捧げる哀愁あふれる深い音色に、暑さも忘れて聞き惚れました。絵画一枚一枚にスポットライトがあたり、幻想的で感動的でした。最後に天満敦子さん、窪島誠一郎館主を囲んで記念写真を写せたことが嬉しかったです。
3日目は、細い山道をくねくねと曲がり、標高1400メートルのあずまや高原「らいてう」の家へ。
米田館長のお話は、分かりやすくアッという間に時が過ぎました。らいてうは声が小さく、人前に出るのも苦手だったとのこと。でも、これはと思ったことは、実行する行動派であったこと。らいてうが二児の母となって「いのちを生む女性の手で平和な日本を」と新婦人協会を結成、消費者組合や、戦後日本国憲法に共鳴し平和運動を進めたなど、知らなかったらいてうの姿が語られました。
建物も長野の木材を使い、女性建築家9人で造られたこと。椅子も座り心地も良く、すべてが木製で暖かみがあり、のんびりとゆったりとした時間がすぎました。スッタフのみなさんからのぶどう、漬け物、リンゴ、お茶の差し入れはとっても美味しくて、心がなごみました。
2泊3日の旅でしたが、毎日が充実、中身の濃い旅となりました。
別所温泉では、閉店後わざわざ店を開けてくれた上田紬のお店に入ったり、山宣の碑を見に行った事など、プラスアルファがありとっても得した感じでした。
「札幌窪島会」の協力、そして、旅システムさんのおかげで、心に残る素晴らしい旅となりました。ありがとうございました。