14年目の福島の旅から学んだこと
映画「フラガール」を見たから、いわきのスパリゾートハワイアンズに宿泊できるならとこのツアーに初参加したのはいつのことだったでしょうか。でも、その後は仕事の忙しさを理由に参加しなかった。もし、本気で防災や原発を何とかしたいとか思っているなら、仕事休んで、時間を作っても数年に1回は行ったと思います。このツアーは一昨年も、昨年も申し込んだのですが、体調不良で直前キャンセル。
そして今年は東日本大震災、福島第一原発事故から14年。
「いつまでこのツアー続けるの」「もう、いいんじゃない。復興にむかっているみたいだし」という思いが半分。見るだけではなく、現地で当事者の話を聞くこと。スタディツアーはこれが一番。そう思い直し、宝鏡寺の伝言館と福島第一原発の視察、鈴木安蔵の生家がコースに入っているので、「今しかない」そんな気持ちで参加させていただきました。
旅を終えた今、私は本や新聞を読んでわかったつもりになっている自分に「バカバカ」と言っています。原発事故が起きたら大変なことになると予見し、事故後も闘い続けている人たちがいること、原発事故に遭った人たちの苦しみを何もわかっていなかったなと反省しかありません。震災以来個人旅行も含めると、福島は6回訪問していますが、今回の旅は深く心に刻まれました。心が痛い。そして怒りで震えています。
1日目、浪江町の希望牧場を訪問。吉沢さんの気迫が半端ない。
国が放射能汚染された牛を薬で殺せと指示しても従わなかった人。
「俺は牛飼い。命を無駄にはしない。牛は原発事故の生証人。ここで生き続ける」と牧場を続けていました。
2日目、楢葉町宝鏡寺での核兵器廃絶を求める原発被災者集会に参加しました。
原発事故による避難指示で、自治体の人口はゼロになった。福島民報3月3日、4日の調査報道では、14年たった今も5万4004人がふるさとをはく奪され続けている。復興庁は2万4664人と発表しているが、この数字には、復興公営住宅に住んでいる人や避難先で自ら住宅を確保した人は除外され入っていないのです。このカウントは「棄民」そのもの。
住み慣れた住居、先祖代々からの土地、故郷をやむなく離れた避難生活を強いられている人たちは、26万人。「自主避難生活」者には損害賠償もありません、こんな理不尽なことがあっていいのでしょうか。
コミュニティが破壊され、家族がバラバラにされて崩壊させられた様子は、写真家・津島訴訟原告の馬場靖子さんが集会で報告しました。馬場さんは元小学校の先生、退職してお友だちに誘われて写真を始めた。津島が好きで、みんなで助け合い生きてきた。お隣におじゃますると、「お茶飲みしていけ」と法要などがあると煮物が得意な人、サラダをつくる名人がいて、そういうことをみんな教えてもらったと。心から笑い、ありのままの自分でいられ、みんなで子育てしていたと。これが原発事故で全部奪われたのです。
3日目、大熊町の熊川地区に生まれた木村紀夫さん(大熊未来塾)の案内で、福島第一原発のある大熊町を周りました。原発事故前は11000人の人口が今は1300人。
500人は仕事で来ている人で、町民は800人くらいしかいない。内500人は町外から移住してきた人で、元々の町民で戻ってきた人はわずか300人だそうです。
避難指示が解除されて2年以内であれば、国から解体費が出て、そのあと建設したら補助金が出るという仕組み。だから、原発マネーで造られたかつてあった立派な公共施設が、まだ使えるのに再利用されることなく次々解体されて更地になり、新しい建築物が立てられている姿を散見しました。
これが「復興」?
建築物は「ここで学んだな」「遊んだな」「お買い物したな」「通ったな」という様々な思い出と共に、それぞれの人の心の中に存在しています。なのに「ふるさと」の「思い出」や「記憶」が何の相談もなく消されていっているのです。大熊さんの「自分たちは置き去りにされている」と言う言葉が突き刺さっています。
(自宅解体も避難指示が解除されて1年以内に決断しないと、国の支援を受けられない。子や孫に負の遺産を残すことになるからと、泣く泣く解体にサインする人たち。家の柱の傷も壁の落書きもみんな家族の「歴史」なのに消されていく。憲法で保障されている個人の尊厳はどこにあるんだと思います)
木村さんは、東日本大震災時の津波で、父と妻、当時小学1年生の次女汐凪(ゆうな)さんを失いました。地元の消防団からは声が聞こえても、原発が危ないからと、捜索ができなかったと。(津波だけなら助けられる人がいたということです)帰宅困難区域だから探しに行きたくても行けなかった悲痛。怒り、やるせなさ、腹立たしさ、一体毎日をどういう気持ちで過ごしていたのだろう。胸の潰れる思いでした。
妻(当時37歳)は40日後に海中で発見され、父は田んぼの中から発見された。2013年9月からボランティアで捜索が始まったが、重機が使えない手作業。探し続けてようやく2016年12月9日、5年9か月後に汐凪さんは発見された。だが今でも彼女の体の8割は見つかっていないという話に涙が出ました。
自分が同じ立場なら生きてこれなかったのではないか。
それとも長女のために何としても生きてやると思うのだろうか。
「誰も犠牲にしない防災」「誰も犠牲にしない社会」「小さな声を拾い、寄り添い、活かす社会」大熊さんが静かに語るその言葉に深く深く共感しました。
石破政権は「第7次エネルギー基本計画」で原発推進へ大転換、原子炉を今より3倍動かし、最大限活用する閣議決定をしました。今まで除染、中間貯蔵施設、廃炉、賠償などで使われた費用は、23兆4千億円だと言います。まだまだ続きます。これだけのお金を教育や医療、福祉に投入していたらどれほどのことができたのでしょうか。
予見された対策を取らず、事故を起こしても責任を取らされない原発推進者のことを忘れず、二度と繰り返さないために、これからも旅と思索と行動を続けたいと思います。
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山本政俊(十勝在住)